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【社説】戦争を終わらせることが、なぜこれほど難しいのか

20 時間前
読了時間: 10分
破壊された無人の街を見渡す瓦礫の上に小さな白い花が咲き、遠い海と夕日が見える。戦闘が止まった後も平和を維持する仕組みが必要だという社説の問いを象徴した画像


平和を望むことと、平和を実現できることの間にある巨大な断絶

2026年10月8日。

ロシアによるウクライナへの大規模攻撃で、また多くの市民が亡くなった。


イエメンでは10月7日、アデン国際空港が攻撃され、着陸直前だった民間航空機が別の空港へ向かった。

シリアはサウジアラビアへの軍事支援を検討していると報じられた。ただし、支援や派兵が決定したわけではない。

イスラエルでは、2023年10月7日の襲撃から3年を迎え、犠牲者の遺族が政府の責任を問い続けている。


ガザでは、2025年に停戦合意が結ばれた後も、多くの市民が破壊された街で暮らし、暴力が続いている。

世界は今日も、戦争をしている。


僕は、戦争に反対している。


人間が人間を殺すことを、国家の目的を達成するための正当な手段として扱うことに、強い抵抗がある。


しかし、だからこそ考えなければならない。

戦争に反対することと、戦争を終わらせる方法を持っていることは、まったく別の話ではないだろうか。

そして、今日のニュースを読んでいて、僕は一つの問題に行き着いた。


戦争を終わらせられない最大の理由の一つは、戦闘を止めた後の安全を、誰も保証できないことではないか。


停戦すれば、本当に平和になるのか


ロシアとウクライナを考えてみたい。

仮に明日、双方が停戦に合意したとする。

ミサイルは飛ばなくなる。


砲撃は止まる。

少なくとも、その瞬間から戦闘による犠牲を減らせる可能性がある。


それ自体には、大きな価値がある。

しかし、ウクライナから見れば、次の疑問が生まれる。

ロシアは数年後、再び攻めてこないのだろうか。


停戦中に軍備を立て直し、次の攻撃に備えることはないのだろうか。

1994年、ウクライナは核兵器を放棄する過程で、ロシア、米国、英国から安全保障に関する約束を受けた。

ブダペスト覚書と呼ばれる文書だ。ウクライナの主権と国境を尊重し、武力で脅かさないことなどを確認したものだが、攻撃されたときに各国が自動的に軍事介入するという約束ではなかった。


2014年にはロシアによるクリミア併合があり、その後、東部の紛争を終わらせるためにミンスク合意が結ばれた。

しかし戦争は終わらず、2022年にはロシアによる全面侵攻が始まった。

この歴史を経験したウクライナが、次の和平合意を簡単に信用できるだろうか。


一方、ロシア側にも、戦争を続ける判断を支える安全保障上の計算がある。

ロシア政府は、NATOの拡大やウクライナの西側との軍事協力を、自国の安全保障への脅威として語ってきた。

そして、ウクライナが再軍備すれば、将来的にロシアへの軍事的圧力が強まると主張している。


ここで重要なのは、双方の不安が存在することと、その主張が同じ程度に正当であることは別だという点だ。

ロシアの安全保障上の不満を理解することは、他国への全面侵攻を正当化することではない。

しかし、ロシア側が何を脅威と認識し、何を得ようとしているのかを理解しなければ、戦争を終わらせる条件も見えてこない。


そして、ここに恐ろしい矛盾がある。

ウクライナが安全を確保するために軍備を強化すると、ロシアは脅威が増したと主張する。

ロシアが安全を確保するために軍事的な圧力を強めれば、ウクライナはさらに軍備を必要とする。


互いに安全を求める行動が、相手の不安を増幅させる。

国際政治では、安全保障のジレンマと呼ばれる問題だ。

ただし、この理論を使って、侵略の責任を曖昧にしてはならない。


問題は、相手の不安を理解したうえで、武力による現状変更を認めず、双方が将来の安全を確保できる仕組みをどう作るかということだ。


「和平合意」という言葉の中身を、僕たちはどれだけ理解しているのだろう


停戦を求める声は、世界中にある。

僕も、その声を支持する。

しかし、和平合意を結ぶことが目的になってしまえば、その合意が何年続くのかという問題が置き去りになる。


例えば、領土問題を棚上げして停戦したとする。

国境はどうなるのか。

住民はどこの国民として扱われるのか。


避難した人々は帰還できるのか。

破壊された住宅やインフラは誰が復旧するのか。

戦争犯罪は誰が調査するのか。


捕虜や拘束された民間人はどうなるのか。

そして最も重要なのは、合意に違反したとき、誰が何をするのかという問題だ。

国際社会が合意を監視する。


違反すれば制裁を科す。

平和維持部隊を派遣する。

言葉にすれば簡単だ。


しかし、違反を認定するためには調査が必要になる。

制裁には各国の協力が必要になる。

軍事的な保証には、場合によっては保証する国自身が戦争へ巻き込まれる覚悟が必要になる。


しかも国連の平和維持活動には、主要当事者の同意などの原則がある。部隊を送りさえすれば、強制的に平和を実現できるわけではない。

さらに、国連安全保障理事会には、常任理事国の拒否権がある。

強大な軍事力を持つ国自身が紛争当事者になったとき、国際社会の仕組みは十分に機能しないことがある。


つまり、和平合意とは、署名することでは完成しない。

その約束を守らせる制度と、それを実行する政治的な意思が必要なのだ。

僕は、ここに現代の国際秩序が抱える根本的な弱さがあると思う。


中東では、戦争を止める主体そのものが複雑になっている


10月7日から8日にかけてのイエメンとサウジアラビアのニュースは、さらに深刻な問題を示している。

フーシ派。

イエメン政府側の勢力。


サウジアラビア。

イラン。

そして、関与を検討する周辺国。


同じ地域の戦争であっても、参加している主体が異なり、それぞれの目的も一致していない。

サウジアラビアにとっては、自国領土の防衛と紅海の安全確保が重要になる。

フーシ派にとっては、軍事的な生存と支配地域の維持が重要になる。


イランにとっては、地域における影響力や、自国への軍事的圧力との関係がある。

一方、イエメンの市民にとっては、食料、水、医療、移動の自由が失われていることが、最も切実な問題の一つだ。

つまり、戦争をしている人たちの目的と、戦争が行われている土地で暮らす人々の目的が一致していない。


しかも、ある勢力が停戦に合意しても、別の勢力が戦闘を続ければ、平和は成立しない。

ここで僕が強く疑問を持つのは、国家や武装組織が掲げる大義と、その土地に暮らす人々の意思が、どこまで一致しているのかということだ。

国家の安全保障。


民族の自決。

宗教的な大義。

領土の保全。


それらの言葉は、政治的な目的を説明する。

しかし、その目的のために犠牲となる市民は、自らの命が危険にさらされることへ同意したのだろうか。

僕は、そこを問わずに戦争の合理性を語ることには、賛成できない。


イスラエルとパレスチナには、さらに難しい問題がある


2023年10月7日のハマス主導の襲撃では、約1200人が殺害され、多くの人が人質として連れ去られた。

イスラエルの人々が安全を求めることには、十分な理由がある。

同時に、ガザでは長期の軍事作戦によって膨大な数のパレスチナ人が死亡し、街や生活基盤が破壊された。


パレスチナ人にも、安全に暮らす権利がある。

では、どうすれば双方の安全を実現できるのだろう。

イスラエルが軍事力によってハマスの能力を削減したとしても、それだけでパレスチナの統治問題が解決するわけではない。


一方、イスラエルの安全を保証する仕組みがなければ、イスラエル国内で軍事的な強硬策を支持する人々の不安もなくならない。

ここで重要なのは、双方の安全を、互いに対立する権利として扱い続けてよいのかという問題だ。

イスラエル人が安全に暮らすためには、パレスチナ人の自由を制限し続けなければならない。


パレスチナ人が自由を得るためには、イスラエル人が危険にさらされなければならない。

もし、このような二者択一を前提にするなら、持続する平和はいつまでたっても実現しない。

双方の市民の安全を同時に実現する政治的な仕組みを作る必要がある。


それは国家の承認、統治の正統性、武装組織の扱い、安全保障、移動の自由、経済活動など、多くの問題を含む。

だからこそ、短期的な軍事的優位を獲得することと、長期的な平和を実現することは、分けて考えなければならない。


戦争を終わらせることと、戦争を再開させないこと


ここまで考えて、僕の見方は少し変わった。

以前は、なぜ戦争をやめられないのかと考えていた。

しかし今は、もう一つの問いが必要だと思っている。


なぜ戦争をやめた後、再び戦争を始めなくても済む仕組みを作れないのか。

停戦は必要だ。

一人でも多くの命を守るために、戦闘を止める努力は続けるべきだ。


しかし停戦を、平和の完成として扱ってはならない。

停戦は、平和を作るための時間を確保する行為でもある。

その時間に何をするのか。


軍事的な信頼をどう回復するのか。

国境や統治をどう扱うのか。

市民の安全を誰が守るのか。


戦争を始めた責任をどう問うのか。

被害者の尊厳をどう回復するのか。

そして、次の世代が再び同じ戦争を経験しないために、何を変えるのか。


これらを考えなければ、停戦は次の戦争までの休憩になってしまう可能性がある。


僕は「戦争反対」を、もう少し厳しい言葉にしたい


戦争に反対する。

この立場は変わらない。

しかし、反対することだけで考えるのを終えてしまえば、戦争が続く構造を理解できない。


戦争を始めた責任は、明確に問われるべきだ。

同時に、終結の条件を提示し、合意を守らせ、市民の安全を維持する仕組みを作らなければならない。

そこには、外交も、法律も、経済も、安全保障も必要になる。


そして、平和の実現を考えるとき、僕は国家の立場だけで議論を終わらせたくない。

ロシア政府の立場。

ウクライナ政府の立場。


イスラエル政府の立場。

パレスチナの政治勢力の立場。

それぞれを理解することは必要だ。


しかし、その国や地域で暮らしている市民の意思は、政府や武装組織の意思と同一ではない。

国民と国家を、ひとまとめにしてはいけない。

戦争を考えるときには、常にこの区別が必要だと思う。


今日の結論


2026年10月8日。

今日のニュースを読んで、僕は戦争について考え直した。

人類は、戦争を始める理由をいくつも持っている。


安全保障。

領土。

民族。


宗教。

資源。

歴史。


そして、国家の威信。

しかし、戦争を終わらせるためには、これらの問題を軍事力とは別の方法で扱う仕組みが必要になる。

それが弱いままでは、戦争が終わっても、次の戦争の原因は残る。


僕は、平和とは戦闘が行われていない状態だけを指す言葉ではないと思う。

人々が、明日また攻撃されるかもしれないという恐怖から離れ、自分たちの生活を築ける状態。

そして、政治的な対立が生じても、人間を殺す以外の方法で解決できる状態。


そこまで含めて、平和と呼びたい。


戦争を終わらせることは重要だ。

しかし、本当に難しいのは、その後の平和を維持することなのだろう。


だから僕は、政治家が停戦や和平を語るとき、もう一つの説明を求めたい。

戦闘を止める方法だけではなく、その後の人々の安全を、どのような仕組みで守るのか。

それを具体的に示してほしい。


戦争を終わらせることは、平和への第一歩である。

しかし、その戦争が再び始まらない社会を作ることこそ、政治が引き受けなければならない本当の責任ではないだろうか。


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この記事を書いた人


可児波起(かに なみき)。マーケティングデザイナー/DXコンサルタント。戦争への反対という本人の立場と、停戦後の安全・制度への問いを分けながら、この社説を書いている。

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