僕は、もう何者にもならない。
- 可児波起

- 8月8日
- 読了時間: 9分

「来週も来るんでしょ?」
子どもたちと歌を録音した日の帰り際、ひとりの女の子が言った。
小学3年生の女の子。
僕はその日、歌唱指導をするために地元の小学校へ行っていた。
最初、子どもたちは少し緊張していた。知らない大人がやってきて、「さあ、歌いましょう」と言うのだから、当然だと思う。
だから、歌う前に笑った。
変な顔もした。
一緒に給食を食べた。
録音が終わったあとは、本気でドッジボールをした。大人らしく手加減をする、という発想は、たぶんあまりなかった。
歌っている途中、僕は子どもたちに、歌詞カードではなく僕の顔を見てほしいと言った。
上手に歌うための技術ではなかった。
歌詞を間違えないことよりも、正しい音程で歌うことよりも、顔を上げて、同じ場所にいる人間同士で声を出すことの方が、そのときは大切だと思った。
僕の顔を見た子どもたちは笑った。
僕も笑った。
そのあとに出てきた声は、最初の声とは違っていた。
あの日、僕は何者だったのだろう。
歌手だったのか。
歌の先生だったのか。
給食を一緒に食べた大人だったのか。
ドッジボールで手加減をしない、少し面倒くさいおじさんだったのか。
たぶん、どれも間違いではない。
でも、どれかひとつを選ぶと、大事なものが少しこぼれてしまう。
僕は昔から、職業を聞かれると困る。
若い頃は、もっと簡単だった。
ミュージシャンになりたかった。
仲間と音楽グループをつくり、ラップをし、歌い、曲を書いた。メジャーデビューさせてもらい、映画に曲を使ってもらった。
「何者かになりたい」と思っていた僕にとって、ミュージシャンという言葉は、ずっと欲しかった名前だった。
僕は同じ頃、重度の障がいがある人の介護にも携わっていた。
音楽と介護をしていることが珍しかったのか、僕は「介護ラッパー」と呼ばれた。テレビで特集されたりもした。
「介護ラッパー」
1度聞けば、だいたいのことが分かる。とても便利な肩書きだった。
ただ、僕の中では、音楽と介護はそれほど離れていなかった。
介護の現場では、こちらの都合のいい速さで人を動かすことはできない。
待つ。
相手の呼吸を見る。
言葉にならない小さな変化を受け取る。
自分がやった方が早いからといって、相手の時間まで奪わない。
音楽も、よく似ていた。
自分の声を聞かせるだけなら、歌はひとりでも歌える。
けれど、人に届く歌をつくろうとすると、相手の中にある、まだ言葉になっていないものを想像しなければならない。
若い頃に書いた歌の中に、「優しくありたい」という言葉がある。
優しい人間だったから書いたのではない。
そうありたいのに、うまくできない自分がいたから書いたのだと思う。
それは自己紹介ではなく、自分への約束だった。
東日本大震災のあと、僕は「幸せ」や「希望」や「故郷」をテーマにした歌をつくり、被災地の学校へCDと手紙を送った。
やがて現地を訪れ、学校や仮設住宅、復興食堂などで歌うようになった。
その頃の僕を説明するなら、「震災支援をする音楽家」だったのかもしれない。
けれど、時間がたつにつれて、「支援」という言葉は少しずつ合わなくなっていった。
支援する人と、支援される人。
関係の始まりを説明するには便利だけれど、10年以上つながってきた人同士を説明するには、少し窮屈だった。
岩手県の小さな商店との関係も、震災後に始まった。
最初は歌を届ける側だった。
その後、店の情報発信を手伝い、商品をインターネットで届ける方法を考え、いまでは売上や顧客対応まで一緒に考えている。
もう15年も経った。
今でも毎日のように電話し、つながり続けている。
今年の夏、三陸の海は荒れた。
名物の生うにが全く獲れなかった。
たくさん注文をもらっていたのに届けられなくなった。
自然のことだから、店の人にもどうすることもできない。
それでも、商品を待っている人がいる。
贈り物にしようとしていた人がいる。
漁に出られず困っている人がいる。
小さな店を守ろうとしている人がいる。
生うにを送るのを諦めて返金するという結論を出すのに何日も悩んだ。
返金します、の連絡なら1行で書ける。
けれど、その1行の向こうには、それぞれ違う時間を生きている人がいる。
だから、メールを考える。
言葉を選ぶ。
事情を説明しながら、言い訳にはしない。
期待させすぎず、突き放しもしない。
それはマーケティングの仕事とも言えるし、顧客対応とも言える。
しかし、僕にとっては、震災後に始まった関係の続きをやっているだけでもある。
肩書きは変わった。
関係は切れなかった。
音楽を続けながら、僕の仕事は少しずつ広がっていった。
Webサイトをつくった。
Web広告を扱った。
検索やアクセス解析を覚えた。
数字を読み、文章を書き、画像や動画をつくり、ECサイトを改善した。
いまの僕を説明しようとすると、名刺の肩書きが、説明文のように長くなる。
マーケター、コンサルタント、デザイナー、ライター、ディレクター……。
「何でも屋ですね」と言われることもある。
たしかに、外から見ればそうなのだと思う。
でも、僕は何でもできる人になりたかったわけではない。
目の前に問題があり、それを解決するために必要なものを、ひとつずつ拾ってきただけだった。
サイトを分析しても、実際のページが変わらなければ、困っている人は困ったままだ。
経営の戦略を提案しても、それを形にできる人がいなければ、そこで止まる。
問題のある数字を見つけても、店の人が明日から何をすればいいのか分からなければ、その数字は役に立たない。
だから、自分でやった。全部やった。
書いた。
つくった。
直した。
測った。
また考えた。
増えたのは肩書きではなく、誰かを途中で置いていかないためのスキルだったのかもしれない。
AIが現れて、その感覚はさらに強くなった。
文章を書く。
資料を読む。
数字を整理する。
画像をつくる。
複雑な出来事を、他の人にも分かる形に変える。
以前なら別々の専門家に頼んでいたことが、自然な言葉でAIと対話することで、ひとりの人間の中につながり始めた。
ある朝など、布団の中でiPhoneを握ったまま、仕事に使うインフォグラフィックをつくった。
起き上がる前に、新しい職種がひとつ増えたような気がした。
こうなると、「5年後、どんな仕事をしていたいですか」と聞かれても、正直、よく分からない。
5年前には、いまのような生成AIとの働き方を想像できていなかった。
これから生まれる、まだ名前のない仕事を、いまの職業一覧から選ぶことはできない。
AIが新しい何かを生み出したのではない。
むしろ、もともと僕の中でつながっていたものの境目を、見えにくくした。
音楽と言葉。
感情と数字。
分析とデザイン。
仕事と創作。
バラバラだったものを自然につないだ。
社会に説明するときには、分けた方が便利だ。
でも、本当の人生は、それほどきれいに分かれていなかった。
ここ1年ほど、仕事をめぐって、僕自身がひとりの人間ではなく、早く処理すべき問題のように扱われたと感じる出来事があった。
苦しかったのは、仕事を失ったことだけではない。
そこへ至るまでに費やした時間も、伝えた言葉も、抱えていた事情も、相手にとって都合のいい大きさまで小さくされたように感じたことだった。
人を雑に扱うというのは、乱暴な言葉を投げつけることだけではない。
その人が生きてきた時間を省略し、こちらが処理しやすい名前に置き換えることでもある。
けれど、それは相手だけの問題ではない。
僕自身も、正しいと思ったことを急いで伝えすぎたことがある。
構造が見えると、全部説明したくなる。
資料をつくれるから、つくりすぎる。
相手のためだと思いながら、相手が受け取れる速さを置き去りにしてしまう。
「人を大切にする」という言葉は美しい。
でも、僕には少し大きすぎる。
だから、もっと具体的に、自分がしてはいけないこととして言い直す。
「人を、雑に扱わない」
これは僕の長所ではない。
何度も忘れそうになるから、自分に課している約束だ。
正しさに夢中になったとき。
成果や数字ばかりを見てしまったとき。
自分が傷つき、相手をひとまとめにして憎みたくなったとき。
そこへ戻る。
そう考えてから、自分の過去が少し違って見えるようになった。
僕は、ミュージシャンをやめて介護の人になったのではなかった。
介護をやめて、震災支援を始めたのでもない。
支援者をやめて、マーケターになったのでもない。
マーケターをやめて、生成AIの人になったわけでもない。
歌が必要なときは歌った。
待つことが必要なときは待った。
遠くへ届けるためにWebを覚えた。
感覚だけでは伝わらないから数字を使った。
複雑なことを分かる形にするためにデザインをした。
ひとりの頭では抱えきれなくなって、AIと一緒に考えるようになった。
僕の人生に一貫性がなかったのではない。
一貫していたものが、職業ではなかったのだ。
49歳になった。
昔の僕は、何者かになりたかった。
肩書きを手に入れれば、自分が何者なのか分かると思っていた。
けれど、肩書きは、その時点の自分を説明するための仮の名前にすぎなかった。
名刺には必要だ。
人に簡単に説明する時には便利だ。
請求書にも、たぶん必要だ。
だから、これからも何かの肩書きは使うと思う。
ただ、その名前の中に、未来の自分まで閉じ込めるのはやめることにした。
時代が変われば、仕事は変わっていい。
新しい技術が生まれたら、触ってみればいい。
興味が動けば、進む先も変えていい。
知らない人と出会ったら、それまで予定になかったことを始めてもいい。
あの日、女の子は僕に、
「あなたは何者ですか」
とは聞かなかった。
「来週も来るんでしょ?」
と聞いた。
歌手なのか。
先生なのか。
支援者なのか。
子どもにとっては、そんなことはあまり重要ではなかったのだと思う。
自分たちと笑い、歌い、給食を食べ、本気で遊んだ大人が、また来るのか。
彼女が知りたかったのは、ただそれだけだった。
人が覚えているのは、肩書きよりも、自分を雑に扱わなかった人が、もう1度来てくれるかどうかなのかもしれない。
5年後、僕が何という仕事をしているのかは分からない。
分からなくていい。
何になるかは、もう決めない。
でも、出会った人を雑に扱わないことは決めている。
あの子の問いに、「うん」と答えられる人でいたい。
来週もまた来るよ。
だから僕は、もう何者にもならない。
著者名:
【可児波起:海辺の部屋CEO】
ラップミュージシャンとしてメジャーデビュー=STAND WAVE。障がい者の介護職をするラッパー「介護ラッパー」としてフジテレビで2度特集。ビジネス領域では、「デジタルマーケティング」「Webマーケティング」のスペシャリストとして「ナショナルクライアント(東証プライム)企業」で、戦略コンサルタントなどを行う。高速のキャッチアップ、PDCAで、「確実に成果を出し」続けている。
「マーケティングは『愛』である」という、「人の優しさ」を大切にしている
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