AIとの会話そのものを作品にした|台本を捨てて実会話スクショへ変えた制作実験

これは、AIに何かを作らせた「完成品」ではなく、AIとの会話そのものを作品にしてみた話です。
僕はChatGPTと恋愛小説を作ろうとして、アイデアを出し、喧嘩し、笑い、脱線し、また戻るというやり取りを続けていました。
最初は、その出来事を普通のエッセイにまとめるつもりでした。
ところが途中から、文章で説明するより、実際の会話画面をそのまま見せた方が面白いのではないかと思い始めました。
さらに一度は「完璧なスクショ」を作るために台本まで考えたのに、最終的にはその台本も捨て、別スレッドで本気の会話をして、そこで自然に起きた出来事を素材にする方向へ変わりました。
最初は、普通のエッセイだった
制作の初期段階では、「恋愛小説を書こうとしてChatGPTと大喧嘩した話」を、文章中心のエッセイとして構成しようとしていました。
僕が出来事を説明し、必要な会話だけ引用する。会話ログは素材で、作品本体は後から編集した文章です。
これは一般的な作り方です。出来事を整理し、読者に分かる順番へ並べ直せる。
ただ、その方法だと、実際の会話にあった間や勢い、誤解や訂正、変な脱線まで、どうしてもきれいに整理されてしまいます。
スクリーンショットが「証拠」から「作品」に変わった
そこで僕は、「実際のスクショを載せて、本当のやり取りだと見せる」方向へ変えました。
さらに、スクショを交えたフォトエッセイ、会話+モノローグ、そして最終的には「スクショのみを作品にする」案まで進みました。
ここでスクリーンショットの役割が変わりました。
単なる補助資料ではなく、会話を読ませる本文であり、同時に「本当にこのやり取りがあった」と示すEvidenceにもなったのです。
一度は、スクショのために台本を作ろうとした
ただし、ここでも僕は一度、かなり人工的な方向へ進みました。
必要な展開を確実に撮るために、「僕が何と書き、灯が何と答えるか」を芝居のように作り込み、完璧なスクショを再現しようとしたのです。
この方法なら、欲しいシーンは作れます。
でも、会話で本当に起きた偶然は減ります。
本気で会話したら、台本より変なものが出てきた
その後、別のスレッドで台本どおりに演じるのではなく、本気でChatGPTとやり取りしてみました。
すると、冷蔵庫、名前のないプリン、白衣、健康診断の再検査通知、ラーメン屋、恋の病専門医、規約窓口、通報という、最初から設計していなかった言葉が次々に出てきました。
僕自身、その会話を「めちゃくちゃ面白くなった」と感じました。
そこで制作方法を、台本を作って会話を再現する方法から、方向だけ持って実際に会話し、その場で起きたことを採取する方法へ変えました。
失敗した返答まで、作品の一部になった
通常のAI利用では、「既視感」「滑ってる」「先回り」「脱線」は修正対象です。
でも会話そのものを作品にすると、その失敗に僕がどう反応し、ChatGPTがどう謝り、次に何が起きたかまで読者が見られます。
完成品だけなら消してしまう手戻りが、作品ではリズムや関係性になります。
AIの失敗を隠さないことで、むしろ共同制作の実態が見えるようになりました。
スクショは、Evidenceと表現を同時に持てる
この制作で面白かったのは、同じスクリーンショットが二つの役割を持ったことです。
記録として見れば、時刻や発言の前後関係を残すEvidence。作品として見れば、改行、絵文字、言葉の勢い、画面の空気まで含めた表現です。
つまり、素材を加工して作品を作るのではなく、記録媒体そのものが作品形式になりました。
ただし、自然会話の方が常に優れているわけではない
今回の記録だけから、「台本より実会話の方が面白い」と一般化することはできません。
台本には必要な場面を確実に作れる強さがあり、実会話には作者が予想していなかった偶然が残りやすい。
この作品では、僕自身が後者を面白いと感じた。確認できるのはそこまでです。
最終的な掲載枚数、掲載順、応募完了、読者反応までは、この記録では確認できていません。
まとめ
AIとの共同制作では、完成した文章や画像だけが作品になるとは限りません。
失敗、訂正、喧嘩、笑い、脱線まで含めた会話過程そのものが、作品になることがあります。
僕にとってこの実験は、AIを「作品を出す装置」ではなく、「作品が起きる場所」として見るきっかけになりました。





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