
AIと創作する|画像・漫画・文章・会話で見えた、人間とAIの役割分担

AIと一緒に作品を作るとき、最初は「どこまで上手に生成できるか」に目が向きます。僕も画像、漫画、文章、会話作品を作りながら、生成結果そのものに驚くところから始まりました。
でも、制作を重ねるほど強く残ったのは別の部分でした。直らないものをいつまで直すのか。前のページの状態をどう残すのか。候補の中から何を捨てるのか。脱線を失敗として戻すのか、それとも作品の材料にするのか。
AIとの共同創作で人間が担っていたのは、「全部を自分で作ること」でも「最後にOKを押すだけ」でもありませんでした。何を残し、何を変え、どこで方向を変えるかを選び続けることでした。
画像生成では、直すより「逃がす」方がよいことがあった
保護猫漫画を作ったとき、猫の左目がどうしても意図どおりにならない場面がありました。同じ構図のまま修正指示を重ねても、狙った状態へ安定しませんでした。
そこで僕は、同じ絵を直し続けるのではなく、構図そのものを変えました。問題の部位を正面から見せない、別の動きを入れる、視線を変える。すると「正しく直す」以外の解決が使えるようになりました。
この記録は画像生成で直らないなら、構図を変えるに残しています。AIへ何度も同じ修正を求めることと、作品として成立する別の道を選ぶことは違いました。
漫画では、AIが前ページを覚えている前提を捨てた
漫画を複数ページで作ると、登場人物の服、位置、持ち物、感情、直前の出来事が次のページで抜けることがありました。そこで使ったのが、毎ページに状態をもう一度渡す「STATE」です。
これはAIの記憶力を評価するための工夫ではありません。作品の連続性を、会話の文脈任せにしないための制作方法でした。AI漫画で前ページの状態が消える|「STATE」を毎ページ再注入した理由で具体例を整理しています。
さらに制作を続けると、人間の役割も変わりました。1枚ずつ描く人というより、ページとページのつながりを見る人です。僕はこの役割をcontinuity editorとして記事にしました。
文章では、テーマから遠い言葉が突破口になることがあった
恋愛小説を作っていたとき、きれいな恋愛語を増やすより、「冷蔵庫の二段目」のような日常語が場面を動かしたことがありました。テーマに近い言葉だけを集めると、文章が説明に寄りすぎる。少し遠い具体物が入ると、人の生活が立ち上がることがあります。
その過程は恋愛小説なのに「冷蔵庫の二段目」に残しています。AIが出した語を採用するかどうかより、なぜその言葉で場面が動いたのかを見る方が、次の制作に使える知になりました。
別の場面では、プリンやラーメンの話へ脱線したあとに、作品の核心候補が出ました。脱線をすべて除去するのではなく、寄り道から何が出たかを見るという選択もありました。
会話は、作品を作るための裏側ではなく作品そのものにもなった
当初はAIとの会話を材料にして、あとから台本へ整えるつもりだった制作で、途中から考えが変わりました。整えた台本より、実際の会話スクリーンショットの方が、その時の距離感や驚きが残ると感じたからです。
そこで「会話を使って作品を作る」から、「会話そのものを作品にする」へ変更しました。台本を捨てて実会話スクショへ変えた制作実験は、その判断の記録です。
生成AIとの会話では、完成物だけを保存すると、そこへ至る迷い、修正、笑い、違和感が消えます。作品によっては、その過程の方が中心になることもありました。
実写真は、見た目より「関係性」を伝える資料になった
猫が人の手を包むようなポーズを画像AIへ伝えたとき、実写真を単なる外見の見本として使うだけでは足りませんでした。重要だったのは、どちらの手がどこにあり、どんな接触関係になっているかでした。
僕はこの使い方を実写真は「見た目の見本」じゃないで整理しました。参考画像は色や顔をコピーする資料ではなく、「この関係を作りたい」と伝える辞書にもなります。
統一感を求めすぎると、作品ごとの違いが消えた
AI画像を複数の記事で作るとき、ブランドの統一感を強く意識した時期がありました。色、余白、構図、文字量をそろえると一覧は整います。ところが続けるうちに、テーマが違うのに同じ画像のように見え始めました。
そこで「統一感」と「ワンパターン」を分けて考えるようになりました。記事固有の場面や物を先に見つけ、共通化するのは空気感まで。具体的な失敗はAI画像のブランド統一で失敗した話に残しています。
人間が担ったのは、選ぶ・つなぐ・捨てることだった
これらの制作で、AIは画像を出し、文章を提案し、展開候補を増やしました。でも作品の方向を変えた場面を振り返ると、人間側の仕事は別のところにあります。
選ぶ。 候補の中から、その作品に残すものを決める。
つなぐ。 前後の場面、人物の状態、言葉の意味を一つの流れにする。
捨てる。 うまく生成できても、作品に合わなければ採用しない。
逃がす。 修正で直らないなら、構図や見せ方を変える。
拾う。 脱線や偶然の中から、作品の核になるものを見つける。
恋愛小説づくりで感じた役割分担は、人間が心臓、AIが骨格と呼吸という記事にも残しています。これは普遍的な制作理論として証明したものではなく、僕が実際の共同制作で使った考え方です。
AIとの共同創作を、どこから読むか
画像の失敗と修正から読むなら、画像生成で直らないなら、構図を変える。
複数ページの一貫性から読むなら、STATEを毎ページ再注入した理由とcontinuity editorという役割。
文章の偶然や寄り道から読むなら、「冷蔵庫の二段目」とAIとの寄り道をどう扱ったか。
会話と作品の境界から読むなら、AIとの会話そのものを作品にした記録。
創作で残ったのは、AIの上手さより役割分担だった
生成AIの性能が上がれば、作れる候補は増えます。でも候補が増えるほど、「何を作るか」と「何を採用しないか」は自動では決まりません。
僕の制作では、AIが骨格や候補を広げ、人間が関係、流れ、違和感、意味を見ながら編集する場面が何度もありました。人間が全部作る必要はない。でも、作品の理由までAIへ渡し切ることもできませんでした。
AIとの共同創作は、人間とAIのどちらが作者かを一つに決めることより、制作のどの瞬間に誰が何を担ったのかを見る方が、実際の作り方を理解しやすいと考えています。
テーマ別に読む
この記事を書いた人
可児波起(かに なみき) マーケティングデザイナー/DXコンサルタント/音楽家。企業・自治体等60社以上のマーケティング・DX支援に携わり、生成AI・Web・EC・データ活用などを実務で検証・発信しています。





コメント